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良い表情のヒヨドリ君! [我が家の自然]

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2013/02/16 08:31 撮影
私と目が合った、精悍なヒヨドリ。



北関東の平野部では、珍しく雪が、
一週間残っておりました。
昨日の大雪と思われた雪も、夜半より雨となり、
今朝(2月16日)は、残雪も残り少なくなり、
野鳥たちの餌場の争奪戦が、そこここで見られました。

私の庭では、一番大きな鳥は、キジバトですが、
それ程縄張り意識が無いようです。
一番縄張り意識が強いのは、ヒヨドリ様です。

メジロやシジュウカラは、餌が共通するのか、
ヒヨドリの強襲を、しょっちゅう受けているようです。
スズメは、数は一番多いのですが、雑穀類を餌にしているためか、
ヒヨドリに追われることは少ないようです。

大食漢のヒヨドリは、普段は、それ程好きではないのですが、
写真のヒヨドリは、精悍そのもので、気に入っております。





それと引き換え、雪交じりの雨の中で、
撒き餌にありつくヒヨドリは、将に文字通り、
尾羽打ち枯らした感があり、決して精悍とは思われません。

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2013/02/15 10:05 撮影





ヒヨドリは、仲間内でも縄張りがあるらしく、
強いものが、後から来て、前々から餌場を見張っている
弱いヒヨドリを追い払う光景もしばしば見られます。
向かって左側のヒヨドリが、植木鉢の上に来たヒヨドリに追われた瞬間です。

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2013/02/15 13:15 撮影





庭に来る野鳥に、餌をあげながら、
その生態を観察するのも、ひそやかな楽しみになっております。

















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日本在来種フタスジナメクジの住家発見! [我が家の自然]

昨年10月28日(2012年)に、日本在来種フタスジナメクジに出会って以来、
その行動を、知りたいと思っておりました。
今日、2013年8月4日、午前8時4分に、
色々な生き物の集まる玉切りした原木の山で、
フタスジナメクジの住家を、初めてお目にかかれました。


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2013/08/04 06:37 撮影

それは、ヤマトタマムシの産卵に来る榎の原木を、
偶然移動しておりました所、フタスジナメクジが、
写真のごとく、丸くなって、仮眠している姿を発見。
すぐさま、デジカメに収めてみました。


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フタスジナメクジの住家です。



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移動した榎の原木です。



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2013/08/04 06:54 撮影

ゆっくりと、移動を開始したフタスジナメクジ。




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2013/08/04 07:07 撮影

移動中です。
エネルギーを極力使わないスローライフを実践している所と思われます。




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2013/08/04 07:16 撮影

オカメザサの葉を伝う所です。
あくまでスローです。





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2013/08/04 07:16 撮影

新しい仮眠の場所か!?
それは、オカメザサの枯れた葉の積もった所でした。
わずか20センチほどを移動するのに、40分ほど要した計算になります。



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2013/07/30 10:36 撮影

私の前に、約9ヶ月ぶりに姿を現した日本在来種フタスジナメクジ。
雨の上がったまだ湿り気のある状態の榎の原木の切り口で、
出会いました。
この榎の原木には、ヤマトタマムシが、連日産卵に姿を現してくれます。
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ヒトヨタケ! [我が家の自然]

ヒトヨタケ、それは、
一日にしてその生涯を終える、
勇ましくもあり、もの哀しくもある、
不思議なキノコである。
今朝の7時15分に見つけた時には、
傘をいっぱいに広げて、壮健を誇っていたが、
11時50分には、傘を地面に着けて、
柄は、見事に折れ曲がっておりました。

『朝には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり!』という、
白骨の御文を、まざまざ知らされるキノコである。
11時50分に、再々度、ここを訪れた時には、
地面に傘を着けた老兵の横では、
新しいヒトヨタケの子実体(幼菌)が、
顔を出しておりました。

この子実体(幼菌)が、傘を開いて、壮健を誇る時には、
写真のヒトヨダケは、夕べを待たずして、
跡形もなく、消えてなくなっている事でしょう。
【もってめいすべき!】と感ぜざるを得ません。



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2011/04/25 12:04
傘が開き始めた状態です。



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2012/10/26 09:21
ヒトヨタケの全体の姿。




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2012/10/26 09:21
ヒトヨタケの傘をいっぱいに広げた所です。





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2012/10/26 11:15
この時刻には、傘を地面に着けていました。







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2012/10/26 11:41
益々、傘もしぼみ始め、終わりが近づいたようです。



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2012/10/26 16:19
ちょっと、日が陰り、薄暗くなって来たので、
フラッシュを焚いて、写真撮影となりました。
ヒトヨタケももう最後のようです。
それでも、未だ、柄の部分は付いております。





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2012/10/26 19:26
夜の7時26分現在で、柄は千切れ、傘とそれについている柄は、
黒変しており、間もなく影も形も消えてなくなる事と思われます。






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2012/10/26 22:48
柄の基部を残して、ほとんど溶けてしまったヒトヨタケ。



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2012/10/26 11:41
幼菌(子実体)
明日のヒトヨタケの覇者が、横で、幼い芽をもたげ始めております。



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2012/10/26 22:48
寒さのためかほとんど変わらない幼菌





一口メモ:
さっとゆでて、ねぎぬたや三杯酢、
山椒や柚の香りの吸い物にしたりするなどの調理が適する。

<注意>
私は、実際に食べておりません。
このメモを読んで、くれぐれも、試食などなさらないようにお願いいたします。


一口メモⅡ:
春から秋に広葉樹の枯れ木や埋もれ木に発生する腐生菌である。傘は灰色で細かい鱗片があり、初め卵型だがだんだん縁が反転していく。ひだは初め白色で、胞子が成熟するにつれ、胞子自体の着色のため、黒色に変わっていく。肉は白色、無味でややキノコ臭がある。柄は白色で中空、不明瞭なつばの跡がある。

成熟した子実体の傘は周縁より中心部に向かって自己消化により次第に液化し、ついには柄のみ残し、一夜で溶けて黒色の胞子(担子胞子)を含んだ黒インクのような液と化してしまう。これがヒトヨタケの名の由来である。胞子の一部は空気中に飛散するが、大部分はこの液とともに流出する。英語ではこのキノコをインキ・キャップス(インクの傘)と呼ぶ。

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コアシナガバチの巣作り! [我が家の自然]

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巣に止まったアシナガバチ



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アシナガバチの留守を狙って捉えた巣。






ツツジの葉に止まった、小型のアシナガバチを発見。
写真をと思っていると、葉の中に入ってしまいました。
その姿を追ってみると、径1.5センチほどの巣があるではありませんか。
未だ巣作りを始めたばかりで、
働き蜂が孵った様子はありません。

おそらく女王蜂一匹での巣作りと思われます。
とても小さなアシナガバチなので、フタモンアシナガバチか、
コアシナガバチかも知れません。
観察が楽しみである。
昨秋、観察したアシナガバチとは、
体色と大きさが違うみたいである。

2013/06/09 08:30撮影





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女王蜂の留守を見計らって、巣を覗くと、
幼虫がびっしり育っておりました。
一つだけ、蛹になったと見えて、
蓋がしてありました。
このハチは、コアシナガバチである事が判明しました。

2013/06/09 09:21撮影






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口から、肉団子を出して、
幼虫にエサを与えている、コアシナガバチ。

2013/06/09 09:38撮影



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晴天の夜のコアシナガバチの姿。
晴天のため、コアシナガバチは、
巣の上部におります。
雨天の時は、巣の下で、雨梅雨を避ける習性があります。

2013/06/09 19:51撮影




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コアシナガバチの働き蜂が、何時羽化するか、
気をつけて見ていたつもりでしたが、
今日6月28日13時ジャストに見てみると、
コアシナガバチが、4匹になっておりました。
働き蜂が羽化したので、女王蜂の作業も少しは、
楽になったのではないだろうかと、ほっとしました。

2013/06/28 13:00撮影



果て?、何匹羽化したのだろうかと思い、
良く考えて見たら、夜中に巣に戻った所を、
数えて見れば良いという事になりました。
女王蜂が一匹(体が大きいのですぐに分かります)と、
働き蜂が5匹おりました。
新しい巣が出来てから、5匹の働き蜂が羽化した事が分かりました。

2013/06/28 20:55 撮影
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コカマキリの生活史! [我が家の自然]

コカマキリ、それは良く見かける褐色の小型のカマキリです。
褐色の小さなカマキリですが、前足の斧の内側を見ると、
黒い縦線が、くっきり見えるので、幼い羽根の生えていない時でも、
慣れればすぐに、見分けが付きます。



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2012/08/12
今年初めて、写真に撮ったコカマキリです。
羽根の生えていないコカマキリが、私の指の上で、
戯れているところです。



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同じ日、バンペイユの葉の上でのコカマキリの行動です。

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この時のコカマキリは、既に羽根が生えており、
成虫の貫禄充分です。

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2012/08/18


再び、私の指の上で、遊ばせて見ました。

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恐らく産卵を控えているのでしょう。
コカマキリのお腹が大きくなっています。
私の部屋の窓の外の、イヌマキの鉢物に、
住み着いているようですので、
これからも観察を続けて行きたいと思います。

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2012/10/14 撮影




昨日と同じ、イヌマキにコカマキリがいてくれて、
ひと安心です。
産卵まで、ここにいてくれたら占めたものです。

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2012/10/15 撮影




夜のコカマキリ。
ジッとしています。

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2012/10/15 18:40





カマキリの種類は、特定出来ておりません。
カマキリの脱皮した抜け殻です。
このような完全な形の抜け殻は、
中々お目にかかる機会がありません。
参考までの貼付してみます。

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かすかな風の動きにも、カマキリの抜け殻は、
寂しさを感じるほど、揺れ動きます。
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2012/08/10



午前中は、何でも無かったと思っていたのですが、
午後4時頃見回ると、写真のようにはかなくなっておりました。
産卵前だったので、残念です。
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2012/10/16 16:04 撮影





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2012/11/22 11:00
気温も低くなり、コカマキリは、家の東南の角にある、
ハーブの藪の中に、潜んで寒さを避けているようでした。
日が射して来ると、オオカマキリと、ハバビロカマキリと、
種類の異なる3匹が、住み分けて、暖を取っているようでした。
21,22日と暖かかったので、出てきて暖を取っているようでした。
加齢の為か、さむさのためか、3匹とも動きは、緩慢でした。





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コカマキリか、ハバビロカマキリの卵鞘(らんしょう)。
未だ良く分かりません。
大カマキリの卵鞘(らんしょう)でない事は確かです。
ご存知の方がおりましたら、お教え願いたいと思います。



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木馬に産み付けられていた卵鞘(らんしょう)を出た、
コカマキリの幼虫を発見。
足の模様で、はっきりと、コカマキリであることが分かります。
2013/06/10撮影 追記



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コカマキリの卵鞘(らんしょう)
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二転三転、イモカタバミ! [我が家の自然]

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初夏の花に命は、あっという間です。
ピンクのハナカタバミと思っていた花が、
鮮やかに咲いているので、写真に収めて見ました。
どんな花なのだろうと、調べて見ると、
ハナカタバミは、南アフリカ原産で、
観賞用に輸入されたものが、
野生化していると云う事です。

写真のカタバミは、よくよく調べて見ると、
ムラサキカタバミのようです。
いや違う、イモカタバミのようです。
同定は、確かに難しい。
思い込みや、うろ覚えは、不確かなものである。
写真にとって、調べてみて、正解だったようです。

ムラサキカタバミは、やはり、帰化植物で、
観賞用に導入されたものが野生化し、
関東以西の暖地に生息する多年草のようです。

イモカタバミは、南米からの帰化植物で、
関東以西の暖地に生息する多年草との事。
イモカタバミの「イモ」とは、
根の塊茎が芋状になる事からきているとの事。
確かに、芋状の塊茎が見られ、始末に困ります。
ムラサキカタバミ、ハナカタバミと良く似るが、
イモカタバミは葉や花が小さく、
花後にハナカタバミのようにうつむ事はない、
などの特徴があると云う事です。

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ドクダミの花盛り! [我が家の自然]

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至るところの樹下に、真っ白な、
ドクダミの花が、目に入ります。
ドクダミの花については、私の子供の、
理科の勉強で、調べた思い出があります。

”どくだみの本来の花には花弁も萼(がく)もなく、
雌蕊と雄蕊のみからなる。”と云う事実を知り、
驚いた事がありました。
花びらと思っていた4枚の白い片は、
白色の総苞(花弁に見える部分)で、
棒状の花序に淡黄色の小花を密生させると云う事だそうです。
(総苞は実質イミテーション)

私たちの地方では、ドクダミの事を、
”へびぐさ”と云っておりました。
名の由来については、分かりません。

ドクダミの葉を、蒸し焼きにして、
吹き出物に貼って、薬用として、
利用していたように記憶しております。

ドクダミ茶や、山菜として天ぷらなどにして、
賞味される方もあるやにお聞きしますが、
私は、”へびぐさ”の名から、如何しても頂けません。

ドクダミの白い花を見ると、以上のような事を、
毎年思い出します。
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『巣作りをはじめたキジバト!』 [我が家の自然]

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2013/05/08①

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2013/05/08②

2013年5月8日・
12時ちょっと前に、帰宅し、
車を止めると、キジバトが、飛び立ち、
ビワの木の陰の五葉松の枝に止まりました。
ビワの葉が陰になり、中々見えませんでした。
その内、五葉松の枯れ枝を折る仕草をしておりました。写真①

巣作りだなと思い、写真に収めて見ました。
偶然、キジバトが巣材の五葉松の枯れ枝を、
口にくわえて、飛び立つ瞬間が撮れました。写真②

それから、品字梅(花梅)の枝に止まり、
垣根の寒椿の葉の中に入って行きました。
上手く行くと、キジバトの子育てに出会うかも知れません。

2013/05/08記す。

それから、23日経ちました。
5月31日の梅雨の晴れ間の一日です。
いわゆる五月晴れの一日です。


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庭にキジバトが、珍しくエサをついばんでおりました。
その後、シジュウカラの親子連れが、
庭に現れたので、写真をと思い、通路を歩いて行くと、
突然、羽音もけたたましく、2羽のキジバトが、
イロハカエデの中から、飛び立って行きました。
何かと思い、、イロハカエデの中を見ると、
キジバトの巣がありました。
未だ卵は無いようです。

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2013/05/31 09:28 撮影

それからしばらく、キジバトは巣に戻りませんでした。
10時45分頃、再び巣を見に行くと、メスらしいキジバトが、
巣の中におり、オスが、その横で、警戒に当たっているようでした。

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2013/05/31 10:45 撮影
巣に戻ったキジバト。

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2013/05/31 10:45 撮影
左側が、メスキジバト、右側が警戒中のオスキジバト。

2013/05/31記す。

通路脇のイロハカエデの枝の中に巣があるので、
巣作り放棄や、子育て放棄が無いように、
巣の回りに行く時は、注意して行かなければと思います。
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『ニホンキジの縄張り!』 [日記]

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2013/03/23

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2013/04/23


『馬場のお花畑は 恋の花盛り!』
「ケーンケンケン!」と一声鳴いて、鳴き縄張り宣言をしておりました。
その後、例のごとく、両翼を広げて胴体に打ちつけて、
ブルブル羽音を立ておりました。
「母衣打ち(ほろうち)」と呼ばれる動作です。

声を頼りに、カメラ片手に、キジの姿を、
追い求めると、野の草のお花畑の中に、
赤い肉腫が肥大した、繁殖期のオスの頭だけが、
はっきり認められました。

近づきつつ、8枚ほど、写真に収めることが出来ました。
雌の姿も認められたので、ツーショットをと思ったのですが、
それは、写す事が出来ませんでした。
気づかずに撮った写真の中に、雌キジの後姿が、
偶然にも、入っておりました。

雌キジの仕草は、人間も、こうあって欲しいと思うほど、
控えめの仕草です。
でも、雌キジの生態は、複数の雄キジの縄張りを出入りするので、
乱婚の可能性が高いと云う研究結果も出ているそうです。

間もなく、馬場の畑には、雛を連れた、
キジの家族の現れる事でしょう。
畑に行く楽しみが、また増えるというものです。




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2013/04/26
私の通う馬場の畑の軽い食事風景です。




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2013/03/27
今春初めて出会ったオスキジです。
赤い肉腫が、それ程発達しておりません。
メスは連れておりませんでした。
馬場の畑の東側を縄張りとしております。


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2013/03/31
1キロほど離れた所で出会ったメスキジです。
私の観察している縄張りの外です。
ご参考までに!




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2013/03/25
馬場の畑の北側を縄張りにしているキジです。
赤い肉腫も、発達していなく、メスキジは、
連れ添っておりません。




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2013/04/28
馬場の畑の南西を縄張りとする記事です。
メスを連れていたのですが、2羽で、飛び去ったため、
オスのみ写真に撮りました。




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2013/05/04
家から150メートル位の所を縄張りとするキジの番(つがい)です。
「ケーンケン!」と云う縄張り宣言の鳴き声は、
家に居て良く聞かれます。

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2013/05/04



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2013/05/04


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2013/05/04




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2013/05/05
馬場の畑の南西を縄張りとするキジです。
この時は、単独行動でした。
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『今を盛りのヤマフジ!』 [日記]

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野生種とは、思えないほど豪華なヤマフジ。




道路脇の針葉樹などに巻きついて、
ヤマフジ(野藤とも云う)は、今が花盛りです。
花序は藤に比べて短いが、
淡紫色のヤマフジの花が、大好きです。

ヤマフジの蔓は上から見ると左回りで、
藤とは逆だそうです。

私の子供の頃は、農村地帯では、
燃料と云えば、もっぱら薪炭が主でした。
高度成長の時期から、農村にも、
プロパンガス(LPG)が普及し始め、
薪炭の需要が、減るとともに、
平地林の間伐も、廃れて、荒れ放題となりました。

それとともに、今までには、余り見られなかった、
ヤマフジの盛況さが、目に付くようになりました。
車で、行き来すると、今の時期、
そちらこちらの樹木に、ヤマフジの花が見られます。

私は、庭に植えた鉢植えの白藤のつぼみの膨らみ具合を見ながら、
ヤマフジ見を楽しみにするようになりました。




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2013/04/30 撮影
今か今かと待ちかねていたヤマフジの花房。




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2013/04/30 撮影
樹冠を覆うヤマフジ




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2013/05/01撮影
池の水面に垂れる藤の花房
国道355号沿いにあります。
写真で見るより、実物の方がすばらしいと思います。





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2013/05/05撮影
天気の良い日にと思い、今日撮影しました。
アップして撮影しましたので、難台山が、近くに見えます。
以下、今日撮影しました。


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暗中模索 カタクリの栽培法! [我が家の自然]

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3月27日に開花した、我が家のカタクリの花!

今から、27~8年前、小学校3年生の息子と、
柴犬のコロ(号)と、私の3人で、
愛宕山→難台山→我国山→福原という、地元の、
ハイキングコースを縦走したことがあります。

その時、我国山の頂上を越えて、椿という雅な名の集落に抜ける途中の、
楢・椚の雑木林で、かなりの面積で、咲き誇る、
カタクリの群落に出会いました。

盗掘の跡が、至る所にあり、私も、スコップを持ち合わせていなかったのを、
どれほど残念に思ったことか!!!

その時、縄文時代の人達が、このきれいな花を咲かせる、
カタクリの根(球根)から、その名の通りのカタクリを、
作られたのを、身をもって知りました。

それ以来、自分の庭に、カタクリを栽培して見たいという、
欲望に駆られて、知り合いから、カタクリの根を、
分けて頂き、栽培を始めました。

所が、カタクリの栽培法を、よく知らないために、
株が減り、今春は、3株のみ、花芽を付けてくれただけです。


那須にお住まいの、FB友の方で、カタクリを自然に近い状態で、
増やされておられるお方から、昨年、数え切れないほどの種を送っていただきました。

庭と馬場の畑に、かなりの面積に、カタクリの種を蒔きました。

仮想空間世界の交流は、通り一遍の場合が多いのですが、
このお方は、福岡出身のお方で、カタクリの群落を、
作りたいために、那須に越してこられたという方です。

そのような訳で、最近、カタクリの芽の事で、
FBのウォールの記事と、メッセージで、
何往復も、やり取りを、することとなりました。
このような時、Skypeがあればとつくづく思いました。

カタクリの1年目の目を探すのですが、まったく見当たりません。
その事を、記事にすると、メッセージに添えて、
次のような写真が送られて来ました。





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3月29日、送られてきたカタクリの写真です。
下側の楕円形の葉をしたものが、1年目の新芽という。
これなら、いくらなんでも私にも分かります。

出ていない、見つからないと云うと、
「茨城は、那須より暖かいから、必ず出ている。」と云って、
次の写真3枚を送って下さいました。



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”もう一度庭で新芽を探してみました。もしかするとこの写真に写っているのが新芽かもしれません。やはり小さなものです。親花の左上と右下のものが新芽だと思いますが・・・・。直ぐ左上のものは2年目の芽かもしれませんね。”


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”二枚目の写真の100円玉の左上のものは新芽に間違いありません。ご参考まで。”



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私は、この3枚目の写真の右側の、茎だけ見えるものが、
新芽では、ないだろうかと思い、その旨、
メッセージを入れてみました。

実体験が無いという事は、中々判別しにくい事が、
高々、カタクリの新芽だけでも起こります。

知的情報というものが、いかに貴重で、お金に換算しにくいかという事が、
この事だけでも、わかろうと云うものです。


Yahooで、”カタクリの栽培法”を検索してみると、
以下のように出ていました。
”☆発芽1年目の個体は細い糸状の葉を、2年目から7 - 8年程度までは卵状楕円形の一枚の葉だけで過ごし、鱗茎が大きくなり、二枚目の葉が出てから花をつける。☆”

細い糸状の葉と云っても、やはり、自分の目で確かめないと、
確かではないと思いますので、明日、ご近所の、
カタクリを栽培されているお宅を訪ねてみようかと思っております。




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那須のFB友の、カタクリの群落です。



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ご近所の中里さん宅で、貴重なカタクリの1年目の苗の、
写真を撮らせて頂きました。
ネギ苗のような、茎だけの芽が、カタクリ1年目の苗との事です。
カタクリの種の発芽率は、抜群だそうですが、
気づかずにに、雑草と間違えて、抜いてしまったり、
芽が出ないと思って、掃除をしてしまう例が多いそうです。
2~3年の間は、カタクリのところは、そっとして置くのが、
最良のようです。
4月1日、10時06分撮影
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彫刻師富岡清と櫻川磯部稲村神社!  [彫刻師 桂山 富岡清]

昨年(2012年)12月3日の記事、
”今日、旧10月20日(12月3日)は、えびす講!”に、
彫刻師富岡清(富岡桂山)のひ孫さんという方から、
「もっと、富岡清(富岡桂山)について知りたい。」と云うコメントを頂きました。

平成4年10月24日、流鏑馬について調べている時、
櫻川磯部稲村神社を、訪れた折、
大正元年2月(1912年)社殿棟上再建に際して、
彫刻師が、私の大叔父、富岡清(富岡桂山)と云うことを知りました。

そこで、思い切って、桜川市磯部の、櫻川磯部稲村神社を、
再訪して見ました。

宮司さんにお会いして、富岡清(富岡桂山)の彫刻の写真を
撮らして下さるようお願いしましたら、お払いをして下さり、
拝殿を通り、本殿に上げて下さり、よくよく説明して下さいました。

彫刻については、ずぶの素人ですが、
写真を列記して見たいと思います。



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本殿から、社殿を見上げて、”常陽笠間 彫刻師富岡清”の刻。




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本殿にて、中央の紋服姿が、富岡清(富岡桂山)



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木鼻




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脇障子の龍の像
(私見ですが、この脇障子の龍の彫物が、経年変化を少なく、
気に入っています。)



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脇障子の虎の像
(空白の多いのは、2度の盗難で、梅の枝が、折られて無くなってしまわれたという事です。)



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虎と竹



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獅子と牡丹(?)



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本殿階段下の彫刻


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本殿階段下の彫刻




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回廊下の彫り物



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回廊下の彫り物





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本殿全景(龍の脇障子側)



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本殿全景本殿全景(虎の脇障子側)



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櫻川磯部稲村神社御社殿



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櫻川磯部稲村神社扁額



一人でも、多くのお方が、彫刻師の名と経歴を知り、
神社仏閣の彫物に接する。
これが、大切かなと思います。
ちなみに、彫刻師富岡清(富岡桂山)は、
江戸時代の名彫刻師後藤縫之助門下で、
兄弟子に、後藤保之助がおります。
後藤保之助の後継は、いわき平に健在です。

彫刻師富岡清(富岡桂山)門下には、鶴田清芳、横山一雅、
飯島徳三郎の名を聞いております。

私が、直に面識があるのは、横山一雅ただご一人です。
横山一雅の作品は、石岡市国分寺境内に、
都々逸坊 扇歌(どどいつぼう せんか)の彫物があります。
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『新花 ”はるはあけぼの”!』 [花]

春3月、花と云えば、サクラが相場かも知れません。
しかし、春のツバキも捨てたものではありません。
最近は、庭に蒔いておいた実生のツバキが、
花を着けるようになりました。

写真の薄ピンク色の一重のツバキが、
今年、初めて、花を着けてくれました。
樹高は、1メータほどで、10個ほど、
花芽を着けてくれました。

一重で、淡いピンク色、
とても気に入っております。

私の独断と偏見で、”はるはあけぼの”と名付けて見ました。
東向きの私の部屋から見て、
太陽の昇る方角に、このツバキの木があります。
朝、目を覚まして、6時前の東の空が、
真っ赤に燃えて、白むころ、この花が、浮かび上がって来ます。

私も、既に高齢者です。
このツバキを挿し木して、増やせたらと思うのですが、
果たして上手く行くのやら!?


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『12月8日 この日は何の日?』 [日記]

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昭和16年12月8日は、大東亜戦争勃発の日です。
うっかり忘れる所でした。
とんべ(友部)の飛行場址に行き、
細君から云われて、気が付きました。
写真の真っすぐな道路は、かつて大日本帝国海軍の誇る、
零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が、群がる敵機の米軍艦載機を、
迎え撃つ為に、飛び立った滑走路です。

とんべの飛行場、正式には、筑波海軍航空隊の飛行場です。
私の子供心では、敵艦載機との戦闘で、撃墜されるほとんどの機は、
我が日本軍の戦闘機だったようです。
空戦で、撃墜される時には、敵機と思って、
万歳を叫ぶのですが、翼が、ぶらんぶらんと落ちて来て、
地上近くなると、翼の日の丸が見えて来て、
悔し涙を飲んだ物でした。

大人になったら、戦闘機乗りになって、
敵を討ってやるのだと思っておりましたが、
平和になれて、兵隊さんになる気は、如何いう訳か、
消えうせてしまいました。

昭和25年に、自衛隊の前身、警察予備隊が発足した時には、
隣村の”きよはる”と云う方が、入隊された事は、
田舎の大きなニュースになりました。
何でも、2年間の予備隊生活を送ると、
2万円の手当てが付くと云うことでした。
(3年間で、3万円かもしれません。記憶ですので、確かではありません。)

現在では、戦争を知らない方が、学校を出て、
自衛隊に入られる方の多いのには、
驚かされます。

大東亜戦争勃発から、71年。
あまり、ニュースにならないのにも驚かされます。
私一人くらい、この12月8日の事を、
取り上げても、許されるでしょう!

<追記>
日本軍がハワイを奇襲した「真珠湾攻撃」から、
71年を迎えた7日(日本時間8日)、
米ハワイ・オアフ島の真珠湾で追悼式典が開かれた。
攻撃の生存者約40人を含む約3000人が、
犠牲者らを追悼し、平和を祈った。
(ヤフーニュースより、転載)


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海底から蘇ったという零式艦上戦闘機
2007年6月撮影 知覧特攻平和会館にて。



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知覧特攻平和会館への参道となっている、
かつての特攻基地知覧飛行場の滑走路跡



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迎えてくれるは、若鷲 その名も一式戦闘機・隼








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『まざまざと 3・11震災の悪夢が蘇える!』 [日記]

ラジオで、17時18分の地震についての速報が、
しばらく、放送されておりました。
私もちょうど、PCに向き合っていた所なのですが、
3・11震災以来の大きな揺れを感じました。
木造の我が家は、ギシギシと大きく、
2分以上は、続いたと思います。


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(3・11震災後に、余震に備えて、準備した非常用携帯物)

非常事態に備えて、上記の写真を参考にして、
避難の準備を、改めて確認しました。

細君は、写真で確認し、懐中電灯と、醤油と、
ヘルメットの準備を忘れていた事に気が付いたそうです。

天災は、忘れた頃にやって来ると云うことですが、
将にその通りと思いました。
鹿児島の娘の所に、携帯を掛けましたが、
17時33分までは、不通でした。
17時41分には、鹿児島の娘から、
携帯に、電話が入りました。

その間、固定電話で、連絡を取り合いました。
これは、3.11震災後の経験から、
固定電話は、停電でも、電池がある限り、
通話可能と云うことを知りました。

ラジオニュースによると、関東地区で、
携帯電話の規制をしていると云う事でした。
非常時には、携帯電話は、役に立たない事も、
その時知りました。

今回は、停電も無く、それ程の混乱はありませんでしたが、
非常用の準備に、やはり抜けている所がありました。
ヘルメットと、懐中電灯を忘れる所でした。
携帯ラジオは、前回は無かったのですが、
今回は、買っておいたものがありました。

3.11震災の時は、3日間、停電で、水が出なかったのですが、
手掘りの井戸を利用して、バケツで、汲み上げて、
ステンレス製のカマドと、羽釜で、お湯を沸かして、
急場を凌ぎました。
知らぬ間に、バケツも汚れてしまったので、
DIYにて新調の予定です。
それに携帯用コンロのガスボンベの買い置きと。



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(今回用意した、非常用携帯食料など)


今回は、おにぎりを用意しました。
それに、携帯ラジオも、今回はそろっております。
小型発電機(15A)は、修理しておこうと思いながら、
ずるずると、そのままにしてしまいました。

携帯ラジオ用の単三電池の予備の無いのに気が付きました。


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年に数回使う、ステンレス製カマドと羽釜には、
大活躍してもらいました。


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普段は、開けたことの無い井戸の蓋を開け、
バケツで、水を汲み、凌ぎました。
バケツが、軽すぎて、水が汲みにくかったです。
おもりをつけると、スムーズに行くと云うことも、
生活の知恵で、分かりました。

出来るだけ、他人様のお世話には、なりたくないもの。
非常時に備えて置ける物は、おきたいものです。
2~3日前、地区の委員の方が、
井戸があるかどうかの調査に来たばかりでした。

震災にあわないことが一番ですが、
出来るだけの備えはしておきたいものです。
火さえあれば、中華なべで、ご飯を炊くことも、
出来るようになりました。

12月7日17時18分の、マグニチュード7.3の地震に遭遇して感じたことを、
書き留めておきたいと思います。




<補足・追記>
12月8日午後10時

昨夜の大きな地震も、一夜明けて、
からりと晴れた空を見ると、何事も無かったような、
気持ちになって行きます。
地震直後の、未だ震災について、生々しく記憶が蘇えった時に、
気付いた品物をメモしておいて、今日の午後、
DIYで買い揃えた品物を、記録に留めておきたいと思います。


身近な所で、先ず乾電池に、携帯コンロ。
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電気が無くとも使える石油ストーブ、買い置きの水1箱、
カセットボンベ。
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3・11震災で、井戸水を汲むのに、プラスチックのバケツは、
軽すぎたので、金属製のブリキのバケツを、
買い求めました。
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以上、気の付いた物を揃えてみました。
天災は、備えがあったとしても、憂いが無くなるものではありません。
臨機応変が、大切と思います。

3・11震災の折は、常磐線と、羽田空港行きの高速バスが、
3月一杯不通でした。
私は、娘や婿殿の家からの勧めで、茨城空港のスカイマークの臨時便を、
間一髪で、ゲットし、神戸空港径由で、
鹿児島に、しばらく滞在する事が出来ました。
かすかすのガソリンの残量で、茨城空港へ行くのは、
ひやひやものでした。

鹿児島は、茨城とは異なり、暖かく、
大地の揺れも無く、天国のようでした。
小一ヶ月鹿児島に滞在し、常磐線などのライフラインが、
回復されるのを確認して、帰って来ました。
あわただしさのあまり、非常用の器具を、
その時揃える事は出来ませんでした。

人間と云うものは、いやな事は、すぐに忘れがちです。
私もその一人であることはもちろんです。
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何故、由緒ある町の名が無くのであろうか? [日記]

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かつて存在した宍戸郷や宍戸藩に由来する宍戸町は、
昭和31年の町村合併で、友部町とその名を変えました。
平成(平成18年)の大合併で、その友部町の名も、笠間市と変わり、
宍戸町の名は、何時とはなしに消えて行きました。

平安末期から、宍戸四郎の治めた宍戸の庄は、
1592年、佐竹氏に滅ぼされ、宍戸氏の支配は、
終わりを告げました。
江戸時代は、宍戸藩として、1万石の陣屋があったようです。

その宍戸の名は、宍戸郵便局に、残るのみとなりました。
南川根村、北川根村、鯉渕村と数え上げたら限がありません。
しかし、それらの名は、如何いう訳か、
郵便局には、残っているようです。

今、それらの郵便局の写真を、集めつつあります。
ただ、既に消滅した、町や村の名が、分からなくなりつつあります。
近隣の旧町村名と、現郵便局名を、つなぎ合わせるのが問題です。
気長に、それらが、集められたらと願っております。

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鯉渕村の名を冠した、鯉渕郵便局。
由緒ある鯉渕村も、鯉渕村内原が、町村合併に際に、
内原町鯉渕と変わりました。
現在は、それが、水戸市鯉渕となりました。

これらを記録に留めておくのも面白いかも?!


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茨城県行方郡にかつて存在した手賀村(てがむら)の名を冠した、
手賀簡易郵便局の建物である。
現役の簡易郵便局舎です。
行方市(旧玉造町)です。
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Country Cat & City Cat! [我が家の自然]

12月5日の昼下がり、私の部屋の東側の、
野鳥の餌の置き台の下に、野ねこ、すなわち、Country Catが現れました。
10日ほど前から、餌さ台の周囲に、出没するようになりました。
野ねこの行動を写真に収めようと、待ち構えていた所です。

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餌さ台の下で、様子を伺う野ねこ(Country Cat).



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クラッカーの油の香ばしい香りがするのか、
餌さ置き台を伺っている所です。





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跳躍しようとする瞬間です。




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一瞬にして跳躍した所です。
頭が写真に入りませんでした。
脚は、完全に、宙に浮いています。
ぶら下げているのではありません。



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上手に、手すりに上がりました。




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餌のクラッカーに有り付こうとする所です。





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がぶりとくわえた所です。


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餌を口に銜えて、地面に降りた所です。
降りる瞬間は、写真に撮り損ねました。



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飼われていたねこかも知れませんが、
現在は自活(自立)しているねこと思います。
警戒は、怠りません。
室内の暗い部屋から、カメラを構える私と、
目が合った一瞬です。

3回ほど、餌さ台に上って、ご馳走を、充分食べたようですが、
やがて、竹やぶの方へと、去って行きました。



City Cat 都会のねこを少々、紹介してみたいと思います。
スロベニアの首都リュビュリャナのねこです。
婿殿が、去る7月に、臨床病理の国際学会に出席した折、
写真に撮ってきてくれたものです。
首輪も何もしていないので、都会の野ねこと思います。

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リュビュリャナの野ねこ。




鹿児島市一之宮神社の境内で、寝転びながら遊ぶ、
都会の野ねこです。
我が家の庭に出没する野ねことは違い、人間を恐れたり、
警戒したりはしません。
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桜島山の降灰の上で、ねそべる野ねこ。



鹿児島大学キャンパスをねぐらにする、
インテリキャットです。
こちらは、人間に対する警戒を怠っておりませんでした。
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鹿児島大学のインテリ野ねこは、ベンチの上です。


鹿児島市正一位稲荷神社を縄張りとする、
オスねこです。
毎晩お仕事があるらしく、朝の9時過ぎでないと、
ご帰還遊ばされないとの事です。
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拝殿で食事を取る、神ねこ。



鹿児島市正一位稲荷神社の境内を、
毎日、掃き掃除に来られるご婦人から、
このねこのお話は伺いました。
ご婦人の足と、鹿児島特有の扁平な竹箒です。
境内は、桜島山の降灰で、きれいな砂状です。

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一言で、私に婿取りと云うことを見抜かれた、
豪胆な”さつまおごじょ”様です。


私の子供2人に、英文のCity Mouse and Country Mouseを読ませました。
その事にヒントを得て、Country Cat & City Cat と云う表題にして見ました。
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12月4日、衆議院選公示! [日記]

12月4日、10時少し前に、家を出た時には、
ポスター掲示場には、1枚(一人)のポスターが貼られていただけでした。
12時50分頃、家に帰る頃にやっと、
3枚のポスターがはられておりました。
家に着くちょっと前の、午後2時少し前、笠間市役所岩間支所前の、
ポスター掲示場に来ると、
立候補予定者全員のポスターが貼られておりました。
公平性を保つ為、全員のポスターの貼られた、
衆議院小選挙区選出議員(茨城県第2区)ポスター掲示場の、
写真をアップして見ます。


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笠間市役所岩間支所前のポスター掲示場にて。


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同じ笠間市内でも、旧笠間市地区は、
茨城県第一区となっております。
従って立候補者の名も異なります。



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隣町の石岡市は、茨城県第六区です。
六区ですので、6人が立候補しております。


中央では、12の政党が、華々しく、
立候補の弁を振るって居るようです。
片田舎の茨城県第2区では、
三分の一の4政党のみの立候補となったようです。


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地元紙”茨城新聞”の見出し、衆院選きょう公示。



3年前の、政権交代時のような、熱気は、今回は感じられません。
3年の歳月は、こうも、世相を変えるものなのですね。
皆さん、投票するしないは別としましても、
来る12月16日(日)が、日本国の衆議院選挙の投票日である事を、
頭に入れて置きましょう。


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3年前の8月30日(日)の衆議院議員総選挙の時には、
茨城県知事選挙と、茨城県議会議員補欠選挙とが重なりました。
それで、選挙カーの声も喧しく、にぎやかに、
盛り上がって見えたのかも知れません。
今回の選挙戦は、中央はともかく、当地方では、
いたって静かです。


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笠間市役所岩間支所に建つ、衆議院議員総選挙の垂れ幕です。



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「広報かさま」の選挙特集号です。
読みにくいとは思いますが、過去の選挙における茨城県内の投票率は、
全国的に見ても、非常に低い状況にあると書いてあります。
棄権者が多いと云う事は、賢明な有権者が、消極的に、
政治を批判されているのか、あるいは、安易に棄権しているのかは、
私には分かりかねます。
ともかく、来る12月16日は、衆議院議員総選挙の日である事は、
頭に入れておくべきかと思います。
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ヒヨドリの餌付け!  [我が家の自然]

もう、かれこれ20年位前から、庭に野鳥を呼ぶ為に、
餌付けを始めております。
これは、自然界のバランスを崩し、
功罪相半ばする事は、頭の中では分かっている積りですが、
野鳥の魅力に、負けてしまっております。

この冬も、10月頃から、餌付け用の牛脂や果物の皮などを、
野鳥の目に付きやすい所に置くようにしております。
この冬は、野山に未だ木の実などが、多いのか、
ヒヨドリ以外は、未だ居ついておりません。
例年ですと、12月にはいる頃には、
メジロやシジュウカラなども餌に付くようになっておりました。

今年は、やっと昨日の12月2日になって初めて、
ヒヨドリが餌に付きました。
餌場にやっと降りて来て、周囲を警戒しながら、
餌に付いてくれました。



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えさ台に乗り、周囲を見回し終わった所のようです。



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考える素振りをして、そして、私のほうを伺います。


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部屋からカメラを構える私を伺う、慎重なヒヨドリ君。



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やっと餌に喰らい付きました。
こうなればしめたものです。
後は時間との戦いです。
やがて、私に餌をねだるようになって行きます。
そして、”ピ~ヨ ピ~ヨ!”と餌を催促するようになります。
その甘えた仕草も、いとおしくかわいいものです。

しかし、警戒心の強い、精悍な現在のヒヨドリの姿が、
私は、一番好きです。
ちょっとした物音や、影に、素早く反応します。



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11月30日のヒヨドリは、何度と無く、餌をめがけて、
飛び付こうとしていました。
しかし、私の影が、ガラス越しに見えたのか、
餌に将に飛び付こうとした姿勢から、後の竹やぶに飛び去ってしまいました。

それから、3日の時間が経過して、やっと餌にありついてくれました。

餌付けの一番の問題点は、絶対に餌を切らさないと云うことです。
多くの野鳥たちの餌場は、半径300メートル位と云われております。
その餌場の縄張りの中に、餌が無くなると云う事は、
死を意味する事です。
ただ、かわいいと云うだけでは、餌付けは、してはいけません。
私が一番気を使うのは、家を長期間にわたって、空けないと云う事です。
4月から5月になると、野山の木々の間に、
野鳥の好物のケムシなどが、たくさん現れます。
そうすると、野鳥の食の種類が変わって、
どんなに餌をあげても食べてくれません。

その時期まで、餌を切らしてはならない事は、
云うまでも無い事です。

庭に野鳥が居つくと、思わぬ副産物が現れる事があります。
ヒヨドリやキジバと、それにシジュウカラやウグイスなどが、
庭の木々の間に、巣作りすることがあります。
そうなると、馴れている親鳥の子育てを、
真近かに、見ることも可能です。

この6月には、西王母(つばき)の枝の所に、
ヒヨドリが巣作りし、じっくり雛の育つのを観察出来ました。
餌を、私にねだるヒヨドリに赤子です。

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これから、牛脂に付く、シジュウカラ、メジロ、ジョウビタキなど、
バードウォッチングなどとハイカラな事ではありませんが、
我が家を訪れてくれる友人達と、野鳥の観察が楽しめると思います。
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今日、旧10月20日(12月3日)は、えびす講! [彫刻師 桂山 富岡清]

我家には、不思議な恵比寿大黒様の画と彫り物があります。
(我家といっても、私の生家で、今の我家ではありません。)
親子で、恵比寿様と大黒様の位置が、逆になっております。

上の画は、富岡音三郎光信と云いまして、
私の曽祖父(祖母方)の画です。
大黒様が左側で、えびす様が右側に描かれております。

その下の、恵比寿大黒様の彫り物は、
子供(大叔父)の富岡桂山の彫られた物です。
こちらは、恵比寿様が左側で、大黒様が、
右側になっております。

私の子供の頃は、旧暦の10月20日と、1月20日の2回、
えびす講祭りをしておりました。
えびすこ(えびす講)の時には、床の間に、
この掛け軸と、彫り物を飾り、トマス(円筒形の一斗枡)に、
お金(お札)などを入れ、蕎麦を食べた記憶があります。

この謂われを、私が書き残しておかないと、
何が何やら、分からなくなるのではないかと思い書くことにしました。

曽祖父の富岡音三郎光信は、江戸時代生まれの笠間藩士で、
6尺豊かな大男で、戊辰戦争にも、参戦したそうです。
ご一新後、お扶持に離れて、公債を頂き、
帰農しようと、寺崎と云う所の百姓に、農地を買ってもらったところが、
まんまと騙されて、何もなくなってしまったそうです。
そこで、有力な農家などに頼まれて、
文人画などを描いて、生活の足しにしていたそうです。

息子の富岡桂山は、後藤縫之助と云う、
当時、当地方の有力な彫刻師の弟子になり、
修行したようです。
桂山は、水戸弘道館の農人形の彫り物師です。

今日は、”えびすこ”でもあり、桂山の孫(直系)、すなわち私の又従兄弟が、
祖父や曽祖父について、私より知らないので、
ここに書きとめておくことにしました。


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富岡音三郎光信の恵比寿大黒様


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富岡桂山の恵比寿大黒様




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富岡桂山作 水戸弘道館の農人形
3・11震災後、弘道館は立ち入り禁止となっており、
埃はそのままでした。
去る8月23日に、水戸講道館を訪れた際、
特別に、部屋に上がらせて頂き、写真を撮って来ました。




一口メモ:Wikipediaより
講のひとつであり、漁師や商人が集団で祭祀をおこなう信仰結社的な意味合いもあるが、
えびす講は各家庭内での祭祀の意味も持つ。
東日本では家庭内祭祀の意味合いが強く、
また東日本では商業漁業の神としてのみならず、
農業神として崇める傾向が西日本よりも顕著である。
地域によっては1月のえびす講を商人えびす、
10月のを百姓えびすと呼ぶこともある。


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